・・・・・・・・★1・・・・・・・・
「お前、花瓶の位置くらいで、何、モタモタしているんだ。モデルさん、待っているんだ。もっとてきぱきと動け!」
「で、で、でも、お、お、おれ、こ、こ、こ、この位置に、お、おくのは、お、お、お、おかしいと、おもいます」
「何言ってるか、わからねえよ。能書き、垂れる前に、まず吃音を直せよ」
普段は何でもないんだけれど、緊張すると、どもってしまう。いざというときに、オタオタして、物事が決められない。自分でも自信を失っている。
「言われたことだけをしっかりやれよ。自分の頭で考えようなんて10年、早いんだ」
「お前は指示されたことを迅速にかたづけられない。そんな奴、仕事の現場では、お荷物と言うんだ」
最悪の評価だ。自分でも情けなくなる。
リラックスしているときは何の兆しもない。でも、大事な場面で、心に魔法でもかけられたように、口が動かなくなってしまう。身体が動かなくなってしまう。
何か心因性の病気にでもかかっているのだろうか。
「カメアシなど掃いて捨てるほどいる。使い捨てライターと同じだ。役に立たなきゃ、すぐ首にする」と言い切る少し売れ出した傲慢なカメラマン。
求人誌でやっとみつけたアシスタントの仕事。荷物運びと使い走り。写真と関係のない仕事ばかり。学校に通っていたときのバイトとなんら変りない。果てはモデルになる女の軟派、調達まで言いつかる。ここまではいい。写真の仕事と考えられないことはない。
「おい、お前は、面がいいから、女がすぐ引っかかるんで役に立つ。セクシーなヤリマン女を探してこい。顔、スタイルは十人並みでいい。形だけの撮影はする。その後、ただでできる女。連れてこい。最近はヘルスへも行ってない。支払いに追われて金がないんだ」
堪忍袋の緒が切れた。
「安藤さん、この前、拾ってきたエステティシャンの専門学校生はどうしたんですか。顔が好みだとえらく気に入ってたじゃないですか」
「あいつはダメだ。貧乳でマグロのくせに、3回目から、金まで要求し出した。自分の身体を考えてもの言えってんだよんな」
「オマンコ、ただでできるから、つきあってやっていたのによ。あんなガリガリのしみったれ女、こちらからご免よ」
「援交女なら、いくらでもルートがあるっつうの。金さえあれば、若いピチピチギャルがいつでも抱けるわ」
「お前はハンサムだから得だよな。いい女とただでバンバンやれるんだろ。神様は不公平だ」
理論派で撮影の腕はいい。学ぶところも確かにある。が、モデルに平気で手を出す、女にだらしないカメラマン。この男の下で働いていることが恥ずかしくなった。
3週間で自分で見切りをつける。
自分は欠点だらけなのに、他人の欠点は我慢ができない。俺は短気で、結論をすぐ出してしまう。
俺は苛立っている。
自責の念を伴って、胸の奥の方でグツグツと煮えたぎっている、やり切れない思い。
俺の心を不法占拠し、足の指の間の歓迎せざる水虫のように、ジンワリジンワリと俺を実効支配する。その思いを消化できず、あえぎあえぎ息をついでいる。
沈着冷静で醒めた男を心がけてきた、かっこいい俺。どこかに消し飛んでしまっている。
今、俺は溺れかけている。
世の中が思い通りに動かない。
神様が俺に試練を与えている。と、いつものようにプラス思考で考えてはみる。でも、それだけ。願う方向に一歩たりとも動き出そうとしない。
写真専門学校は出たものの、写真関係のまっとうな仕事が見つからない。
フォトグラファー、フォトジャーナリストという言葉に憧れて、写真専門学校に入った。大学を出て普通のサラリーマンになる道を自分で絶った。自分なりに撮影には情熱を傾けてきたつもりだ。
できれば、大きな企業の広告宣伝の写真担当部署にスタッフとしてもぐりこみたかった。
学校で紹介された3流のフォト・スタジオのカメラマンアシスタントの仕事も、そこそこに名の売れたフォトグラファーと口論。わずか2か月で首になった。
いきなり撮影に入る。ほとんど休みが取れない。2週間でせいぜい1回。その休みも不定期。友達との予定など組めない。未だに徒弟制らしきものの残ってる前近代的な世界でもある。
ここまではいい。だが、よりによって、事務所の金の横領疑惑をかけられたのだ。生意気な俺を首にするためのフレームアップだったような気もする。
大人の世界は俺が思っている以上に汚い。
ケチなプライドを捨てられない。「孤高に生きる」という俺の人生のスタンスが邪魔をする。
おかしいと思っても自分の意見を封じ込め、上に立つ者の機嫌をとりながら言う通りに動くことができない。社会人失格だと自分でも思う。やっぱり俺は世間を舐めているのか。
忍耐不足で世間知らずと言われてしまえばそれまで。が、写真の仕事だけは俺の聖域。
安易な妥協はしたくない。
夢を細々と紡ぐことさえできれば、労働条件などにこだわらない。薄給でもいい。
稼がなければ生活できない。
コンビニの深夜の仕事にやむなくに戻った。
事態は何も打開できない。八方塞がりの状況。焦りと空虚感が胸の中を渦巻く。
そして、心の拠り所にしていた香織にまで裏切られたのだ。
「香織、お前、援助交際しているんだってな」
「いきなり何よ!」
「不潔だ。いつからなんだ」
「翔太に関係ないでしょ!」
「関係、大ありだろ。俺はお前が好きだ。恋人のつもりでいる。そうじゃないのか?」
「そのつもりよ。私も、翔太が好きよ。でも、翔太に私を束縛する権利はないわ。あたし、翔太の所有物じゃないのよ。結婚しているわけでもないから不倫にもならないよね。二人が魅かれあっているだけで、今はいいんじゃないの。時々セックスして楽しい時間を共有できれば、それでいいんじゃないの。他の時間はそれぞれの可能性を求めて自由にやろうよ。若いんだからさ。私がスタイリスト、目指しているの知ってるでしょ」
「ざけんな。俺、お前が他の男と抱き合っていると思うと、胸の中がかきむしられるような気持ちになるんだ。何にも手につかない。俺が他の女とセックスやってもかまわないんか?」
「ぜ~んぜん。翔太の自由でしょ」
「ふ~ん。そんなもんなのか。それじゃあ、恋人と言えないだろ。俺、おまえが、わからなくなってきた」
「翔太って、性道徳なんていう胡散臭い観念にとらわれているんだ。貞淑とか純潔とかいう社会のお仕着せを大切に思っているんだ」
「んじゃあ、悪いんか?」
「人、好き好きよね。あたし、他人の価値観にあれこれ言わないわ。でも、それをあたしに押し付けないでよ。あたしにはあたしなりの考え方、生き方があるんだから。夢もあるんだから」
「援助交際して得た金を何に使っている?」
「ほとんど、お洒落に使っているわよ。悪い?」
「服や靴を買うために、知らない男と寝るんか? お前、やっぱり不潔だ」
「翔太には、流行に流され易い、私のような軽い女の子の気持ちがわからないのよ。あたし、高校の友達と同じような洒落た服や靴が欲しいだけなの。あのくだらない女達が手に入る物が私の手には入らない。そう思うと、悔しくて悔しくて、いらだちがメラメラ燃え上がるの。そうなったら、もう駄目。焼け付くように欲しくなる。我慢できないのよ。どんな手段を使っても手に入れるわ。万引きをしてでも、身体を売ってでも」
「以前、万引きして捕まったの。そうして、そこの売り場主任の中年男にネチっこく責められた。ホテルに一緒に行ってやっと許してもらったわ。でも、ラッキーだった。女の主任だったら、両親や学校に通報されてたわ。懲りたわ。だから、始めっから身体で稼いで欲しい物を買うことにしたの」
「最低だな」
「でも、その売り場主任、私の若い身体が忘れられないらしくて、その後、お金を払って私とセックスするようになったのよ。私の常連客第一号。お金に余裕ができたら、今でも電話してくるわ」
「世の中には、女に見向きもされない奴もたくさんいるからな」
「君と過ごす2時間が私の今の人生の生きがいだって、涙を流さんばかりに言うのよ。援交を不道徳で汚い行為と人は言うけど、人助けの一面だってあるのよ。あたしみたいな甘ちゃんでも他人のために生きることができるんだって、自信持ったわよ」
「ものは考えようだってわけか」
「そして、いろいろとアドバイスしてくれるの。それも、親や学校と全く違う観点からの助言よ。かえって、現実の社会に役に立つの。援交ってそんなに悪くないなって思うようになったわ」
「ふ~ん」
「私、我慢できない、ふしだらな女よ。軽蔑してもいいわ。翔太、そういう私が、嫌いなら、別れましょう」
「嫌いになりたいよ。でも、それができないんだ。だから、つらいんだ」
香織とは飯田橋のマンションの同じ階に住んでいた幼馴染。香織の2歳違いの兄貴とずっと同級生で、近くの極真空手の道場にも一緒に通っていた。二人ともほぼ同じ時期に黒帯を取得。親同士も親しく、当然のように、お互いの部屋を自由に行き来していた。
「お前とは、子供のころからの長い付き合いだ。お前の良さを誰よりもよく知っている」
「あたしも、翔太のこと、理解しているつもりよ」
「おばさんやおじさんに申し訳ないと思わないのか?」
「少しはね。でも、両親は世間体で私をあの高校に入れたのよ。お陰でえらく迷惑しているんだから。私はよいお嫁さんなんかに金輪際なる気はないのにな」
「香織がそんな玉じゃないのは認めるよ」
「私の家、平凡なサラリーマンでしょ。けして裕福じゃないわ。惨めな思いをしているのは私なのよ。私も体裁を気にして洋服や靴を欲しがって何がいけないの。自分で稼いで好きな物を買って何がいけないのよ」
「そう言われると、強く反論はできないな」
「翔太や兄貴と同じ公立の高校へ行けばよかったわ」
「学校の問題じゃないような気がするけどな」
「じゃあ、私の持っている資質の問題だって言いたいの?」
「そう、香織は虚栄心の強い、欲望に弱い女」
「そんな女を、翔太、好きになったのよ。そちらの方が問題だな」
「お前の高校、お堅いミッション系だろ。売春はキリスト教の教義に反しないのか?」
「私、キリスト教なんか信じていないもの。宗教の時間はいつも居眠りよ」
「だろうな」
「裕福な家と貧乏な家の格差、不平等については、キリスト教、現状を肯定するだけよ。何もしてくれないわ。だから、私は自力でその不平等を是正しているだけよ。それが教義に反すると言われても、何さって、感じよ」
「援交、学校にバレたら退学だろ」
「そうよ。だからなんなのさ。あんな学校、自主退学したいくらいなのに」
香織が中学3年になるまでは女性と意識したことがなかった。妹のような存在だった。
兄貴と同じ部屋を使っていた。新体操の部活から帰ると、翔太がいるのを気にもせず、汗まみれのトレーナーを脱ぎ捨てた。ブラジャーとパンティ1枚の姿になって、風呂場に駆け込もうとする。
「香織、俺は慣れてるからいいけどよ。翔太のことを少しは考えろ。お前の発育のいい身体を見ていると、俺でもムラっとくることがある。翔太は若い男だぞ」
とたんに、香織の顔が、いや、身体全体が真っ赤になった。俺の顔も熱くなっていた。
それから、しばらくの間は、お互いの顔を、まともに見ることができなかった。
香織のことが好きなんだとぼんやり意識し始めていた。香織も同じだったようだ。
香織、高1の夏。神宮外苑の花火大会に、俺と兄貴と香織と香織の友達の美咲の4人で出かけた。
全員浴衣姿。絵画館前の広場で、皆で夜店をひやかし馬鹿を言いながら、大空に乱れ咲く花火を見上げていた。花火の大音響のたびに、当時の兄貴の恋人の美咲はキャアキャア言いながら兄貴に抱きついていた。が、香織は俺の腕に控えめに手をまわすくらいだった。そのうち、二人は暗闇に紛れてどこかに消えてしまった。
取り残された俺と香織。最初は間が持てず、ぎこちなかった。俺が意を決して香織の手を握ると香織が握り返してきた。
「兄貴達、どこにいったのかなあ」
「どこかでキスをしているんだよ。兄貴、今夜こそばっちり決めてやると息巻いていたから」
「ばっちり決めてやるって、どういうこと?」
「セックスするってことだろ」
「いやらしい!」
「いやらしくないだろう。男と女、好きになったらキスをする。キスをしたらセックスをするっていうのが自然の流れってもんだ」
「ねえ、最近、翔太のこと、妙に意識しちゃって、なんでもないときに考えていたりするの。これって、翔太のこと、好きになったのかな?」
「そうだとうれしいな。香織。俺も一緒なんだ。なんでもないときに、香織のあのブラジャーとパンティ姿、目の前にちらつくんだよ」
「バカ!」
「でも、香織のことがどんどん好きになっていく。自分でも分るんだ」
「あたしも、翔太のこと好きになっちゃたみたい」
「香織、男と女がお互いに好きになったら、どんな流れになるんだっけ?」
「翔太、あたしたちも、第1段階のキスとやら、実験してみるか」
「香織、異議な~し!」
握り合っていた手がじっとりと汗をかいていた。
空には花火がきらびやかに咲きほこり乱れ散っている。
木の下の薄暗がりに移動。お互い向かい合って抱き合って見つめ合う。香織の顔の上を様々の彩りの光が輝いていく。ひたむきに見つめてくる香織が美しいと思った。可愛いと思ったことはあるが、始めて美しいと感じた。大人の女になった香織に感動。
浴衣の下からの香織の肌のぬくもりと弾力が伝わってくる。香織の首筋あたりから成熟した女の匂いが魅惑的に立ち上ってくる。本能的にオスとメス。
俺は香織の腰をきつく引き寄せ、香織は俺の首に手を回す。熱い熱い抱擁。口の中を、舌と舌が行き来し、からみあう。至福と恍惚の時間に我を忘れる。
花火大会終了のアナウンスで時間の経過を知る。
「香織、キスがこんなおいしくて、こんなに夢中にさせるものだと知らなかった」
「あたし、うっとりしちゃって、本当に夢でもみているようだったわ」
それから、毎晩、時間と場所をメールでやり取りしてむさぼるようにキスをする間柄なった。
2週間後には、翔太の母親がパートに出ている隙を狙って翔太の部屋でセックスをするようにもなっていた。
夏休みの終わりには、自他が認める恋人同士が誕生していた。
二人の人生で最高に幸せな時期の一つとなった。
「売春って、犯罪だぞ」
「そんなこと、翔太に言われなくてもわかっているわよ。でも、売春防止法という法律で禁止されているだけで、罰則はないのよ」
「ふ~ん、そうなのか」
「バレなきゃ良いのよ。どんなに取り締まっても、売春は根絶することなどできやしないわ。いつの時代にもどこの国でも形を変えて生き残ってきているんだから。それくらいのこと、翔太にだってわかっているでしょ」
「まあな」
「性を売って何が悪いの? マッサージと一緒。サービス業よ。おいしいお食事と飲み物を提供するのとどこが違うのよ」
「おおいに違うよ。法律という社会の決め事は守らなければならないんだ。売春は社会の善良な風俗を乱し、社会の基盤を危うくするじゃないのか?」
「翔太。本気で、そう思っているの? 信じられない。戦争中の従軍慰安婦、米軍基地近くの歓楽街の売春婦。国家も御都合主義よね」
「それに、売春婦って、最古の職業の一つなのよ」
「・・・・・」
「わかったわ。援助交際、止めはできないかもしれないけど控えるわ。最小限度にする。私、翔太が好きだし、これからも翔太とずっと付き合っていきたいもの」
「俺もお前とずっと付き合っていきたい」
「翔太、この頃、なんだか変だぞ。焦っているみたい。今夜は、優しくしてあげる。コンビニ弁当、買って、マユミのアパートに行きましょう。マユミ、今晩、帰らないって。お酒を少し飲みながら、DVDの新作、見ながら、明日の朝まで仲好くしましょう。遠慮なく大声を上げて、セックス、楽しみましょう。気分を晴らして、明日から元気だそうぜ」
やっぱり、香織は俺の恋人だ。特効薬だ。
一晩中、語り合って。やりまくって。また頑張ってみようという気持ちになった。
香織が大好きなのは変わりない。
「お前、花瓶の位置くらいで、何、モタモタしているんだ。モデルさん、待っているんだ。もっとてきぱきと動け!」
「で、で、でも、お、お、おれ、こ、こ、こ、この位置に、お、おくのは、お、お、お、おかしいと、おもいます」
「何言ってるか、わからねえよ。能書き、垂れる前に、まず吃音を直せよ」
普段は何でもないんだけれど、緊張すると、どもってしまう。いざというときに、オタオタして、物事が決められない。自分でも自信を失っている。
「言われたことだけをしっかりやれよ。自分の頭で考えようなんて10年、早いんだ」
「お前は指示されたことを迅速にかたづけられない。そんな奴、仕事の現場では、お荷物と言うんだ」
最悪の評価だ。自分でも情けなくなる。
リラックスしているときは何の兆しもない。でも、大事な場面で、心に魔法でもかけられたように、口が動かなくなってしまう。身体が動かなくなってしまう。
何か心因性の病気にでもかかっているのだろうか。
「カメアシなど掃いて捨てるほどいる。使い捨てライターと同じだ。役に立たなきゃ、すぐ首にする」と言い切る少し売れ出した傲慢なカメラマン。
求人誌でやっとみつけたアシスタントの仕事。荷物運びと使い走り。写真と関係のない仕事ばかり。学校に通っていたときのバイトとなんら変りない。果てはモデルになる女の軟派、調達まで言いつかる。ここまではいい。写真の仕事と考えられないことはない。
「おい、お前は、面がいいから、女がすぐ引っかかるんで役に立つ。セクシーなヤリマン女を探してこい。顔、スタイルは十人並みでいい。形だけの撮影はする。その後、ただでできる女。連れてこい。最近はヘルスへも行ってない。支払いに追われて金がないんだ」
堪忍袋の緒が切れた。
「安藤さん、この前、拾ってきたエステティシャンの専門学校生はどうしたんですか。顔が好みだとえらく気に入ってたじゃないですか」
「あいつはダメだ。貧乳でマグロのくせに、3回目から、金まで要求し出した。自分の身体を考えてもの言えってんだよんな」
「オマンコ、ただでできるから、つきあってやっていたのによ。あんなガリガリのしみったれ女、こちらからご免よ」
「援交女なら、いくらでもルートがあるっつうの。金さえあれば、若いピチピチギャルがいつでも抱けるわ」
「お前はハンサムだから得だよな。いい女とただでバンバンやれるんだろ。神様は不公平だ」
理論派で撮影の腕はいい。学ぶところも確かにある。が、モデルに平気で手を出す、女にだらしないカメラマン。この男の下で働いていることが恥ずかしくなった。
3週間で自分で見切りをつける。
自分は欠点だらけなのに、他人の欠点は我慢ができない。俺は短気で、結論をすぐ出してしまう。
俺は苛立っている。
自責の念を伴って、胸の奥の方でグツグツと煮えたぎっている、やり切れない思い。
俺の心を不法占拠し、足の指の間の歓迎せざる水虫のように、ジンワリジンワリと俺を実効支配する。その思いを消化できず、あえぎあえぎ息をついでいる。
沈着冷静で醒めた男を心がけてきた、かっこいい俺。どこかに消し飛んでしまっている。
今、俺は溺れかけている。
世の中が思い通りに動かない。
神様が俺に試練を与えている。と、いつものようにプラス思考で考えてはみる。でも、それだけ。願う方向に一歩たりとも動き出そうとしない。
写真専門学校は出たものの、写真関係のまっとうな仕事が見つからない。
フォトグラファー、フォトジャーナリストという言葉に憧れて、写真専門学校に入った。大学を出て普通のサラリーマンになる道を自分で絶った。自分なりに撮影には情熱を傾けてきたつもりだ。
できれば、大きな企業の広告宣伝の写真担当部署にスタッフとしてもぐりこみたかった。
学校で紹介された3流のフォト・スタジオのカメラマンアシスタントの仕事も、そこそこに名の売れたフォトグラファーと口論。わずか2か月で首になった。
いきなり撮影に入る。ほとんど休みが取れない。2週間でせいぜい1回。その休みも不定期。友達との予定など組めない。未だに徒弟制らしきものの残ってる前近代的な世界でもある。
ここまではいい。だが、よりによって、事務所の金の横領疑惑をかけられたのだ。生意気な俺を首にするためのフレームアップだったような気もする。
大人の世界は俺が思っている以上に汚い。
ケチなプライドを捨てられない。「孤高に生きる」という俺の人生のスタンスが邪魔をする。
おかしいと思っても自分の意見を封じ込め、上に立つ者の機嫌をとりながら言う通りに動くことができない。社会人失格だと自分でも思う。やっぱり俺は世間を舐めているのか。
忍耐不足で世間知らずと言われてしまえばそれまで。が、写真の仕事だけは俺の聖域。
安易な妥協はしたくない。
夢を細々と紡ぐことさえできれば、労働条件などにこだわらない。薄給でもいい。
稼がなければ生活できない。
コンビニの深夜の仕事にやむなくに戻った。
事態は何も打開できない。八方塞がりの状況。焦りと空虚感が胸の中を渦巻く。
そして、心の拠り所にしていた香織にまで裏切られたのだ。
「香織、お前、援助交際しているんだってな」
「いきなり何よ!」
「不潔だ。いつからなんだ」
「翔太に関係ないでしょ!」
「関係、大ありだろ。俺はお前が好きだ。恋人のつもりでいる。そうじゃないのか?」
「そのつもりよ。私も、翔太が好きよ。でも、翔太に私を束縛する権利はないわ。あたし、翔太の所有物じゃないのよ。結婚しているわけでもないから不倫にもならないよね。二人が魅かれあっているだけで、今はいいんじゃないの。時々セックスして楽しい時間を共有できれば、それでいいんじゃないの。他の時間はそれぞれの可能性を求めて自由にやろうよ。若いんだからさ。私がスタイリスト、目指しているの知ってるでしょ」
「ざけんな。俺、お前が他の男と抱き合っていると思うと、胸の中がかきむしられるような気持ちになるんだ。何にも手につかない。俺が他の女とセックスやってもかまわないんか?」
「ぜ~んぜん。翔太の自由でしょ」
「ふ~ん。そんなもんなのか。それじゃあ、恋人と言えないだろ。俺、おまえが、わからなくなってきた」
「翔太って、性道徳なんていう胡散臭い観念にとらわれているんだ。貞淑とか純潔とかいう社会のお仕着せを大切に思っているんだ」
「んじゃあ、悪いんか?」
「人、好き好きよね。あたし、他人の価値観にあれこれ言わないわ。でも、それをあたしに押し付けないでよ。あたしにはあたしなりの考え方、生き方があるんだから。夢もあるんだから」
「援助交際して得た金を何に使っている?」
「ほとんど、お洒落に使っているわよ。悪い?」
「服や靴を買うために、知らない男と寝るんか? お前、やっぱり不潔だ」
「翔太には、流行に流され易い、私のような軽い女の子の気持ちがわからないのよ。あたし、高校の友達と同じような洒落た服や靴が欲しいだけなの。あのくだらない女達が手に入る物が私の手には入らない。そう思うと、悔しくて悔しくて、いらだちがメラメラ燃え上がるの。そうなったら、もう駄目。焼け付くように欲しくなる。我慢できないのよ。どんな手段を使っても手に入れるわ。万引きをしてでも、身体を売ってでも」
「以前、万引きして捕まったの。そうして、そこの売り場主任の中年男にネチっこく責められた。ホテルに一緒に行ってやっと許してもらったわ。でも、ラッキーだった。女の主任だったら、両親や学校に通報されてたわ。懲りたわ。だから、始めっから身体で稼いで欲しい物を買うことにしたの」
「最低だな」
「でも、その売り場主任、私の若い身体が忘れられないらしくて、その後、お金を払って私とセックスするようになったのよ。私の常連客第一号。お金に余裕ができたら、今でも電話してくるわ」
「世の中には、女に見向きもされない奴もたくさんいるからな」
「君と過ごす2時間が私の今の人生の生きがいだって、涙を流さんばかりに言うのよ。援交を不道徳で汚い行為と人は言うけど、人助けの一面だってあるのよ。あたしみたいな甘ちゃんでも他人のために生きることができるんだって、自信持ったわよ」
「ものは考えようだってわけか」
「そして、いろいろとアドバイスしてくれるの。それも、親や学校と全く違う観点からの助言よ。かえって、現実の社会に役に立つの。援交ってそんなに悪くないなって思うようになったわ」
「ふ~ん」
「私、我慢できない、ふしだらな女よ。軽蔑してもいいわ。翔太、そういう私が、嫌いなら、別れましょう」
「嫌いになりたいよ。でも、それができないんだ。だから、つらいんだ」
香織とは飯田橋のマンションの同じ階に住んでいた幼馴染。香織の2歳違いの兄貴とずっと同級生で、近くの極真空手の道場にも一緒に通っていた。二人ともほぼ同じ時期に黒帯を取得。親同士も親しく、当然のように、お互いの部屋を自由に行き来していた。
「お前とは、子供のころからの長い付き合いだ。お前の良さを誰よりもよく知っている」
「あたしも、翔太のこと、理解しているつもりよ」
「おばさんやおじさんに申し訳ないと思わないのか?」
「少しはね。でも、両親は世間体で私をあの高校に入れたのよ。お陰でえらく迷惑しているんだから。私はよいお嫁さんなんかに金輪際なる気はないのにな」
「香織がそんな玉じゃないのは認めるよ」
「私の家、平凡なサラリーマンでしょ。けして裕福じゃないわ。惨めな思いをしているのは私なのよ。私も体裁を気にして洋服や靴を欲しがって何がいけないの。自分で稼いで好きな物を買って何がいけないのよ」
「そう言われると、強く反論はできないな」
「翔太や兄貴と同じ公立の高校へ行けばよかったわ」
「学校の問題じゃないような気がするけどな」
「じゃあ、私の持っている資質の問題だって言いたいの?」
「そう、香織は虚栄心の強い、欲望に弱い女」
「そんな女を、翔太、好きになったのよ。そちらの方が問題だな」
「お前の高校、お堅いミッション系だろ。売春はキリスト教の教義に反しないのか?」
「私、キリスト教なんか信じていないもの。宗教の時間はいつも居眠りよ」
「だろうな」
「裕福な家と貧乏な家の格差、不平等については、キリスト教、現状を肯定するだけよ。何もしてくれないわ。だから、私は自力でその不平等を是正しているだけよ。それが教義に反すると言われても、何さって、感じよ」
「援交、学校にバレたら退学だろ」
「そうよ。だからなんなのさ。あんな学校、自主退学したいくらいなのに」
香織が中学3年になるまでは女性と意識したことがなかった。妹のような存在だった。
兄貴と同じ部屋を使っていた。新体操の部活から帰ると、翔太がいるのを気にもせず、汗まみれのトレーナーを脱ぎ捨てた。ブラジャーとパンティ1枚の姿になって、風呂場に駆け込もうとする。
「香織、俺は慣れてるからいいけどよ。翔太のことを少しは考えろ。お前の発育のいい身体を見ていると、俺でもムラっとくることがある。翔太は若い男だぞ」
とたんに、香織の顔が、いや、身体全体が真っ赤になった。俺の顔も熱くなっていた。
それから、しばらくの間は、お互いの顔を、まともに見ることができなかった。
香織のことが好きなんだとぼんやり意識し始めていた。香織も同じだったようだ。
香織、高1の夏。神宮外苑の花火大会に、俺と兄貴と香織と香織の友達の美咲の4人で出かけた。
全員浴衣姿。絵画館前の広場で、皆で夜店をひやかし馬鹿を言いながら、大空に乱れ咲く花火を見上げていた。花火の大音響のたびに、当時の兄貴の恋人の美咲はキャアキャア言いながら兄貴に抱きついていた。が、香織は俺の腕に控えめに手をまわすくらいだった。そのうち、二人は暗闇に紛れてどこかに消えてしまった。
取り残された俺と香織。最初は間が持てず、ぎこちなかった。俺が意を決して香織の手を握ると香織が握り返してきた。
「兄貴達、どこにいったのかなあ」
「どこかでキスをしているんだよ。兄貴、今夜こそばっちり決めてやると息巻いていたから」
「ばっちり決めてやるって、どういうこと?」
「セックスするってことだろ」
「いやらしい!」
「いやらしくないだろう。男と女、好きになったらキスをする。キスをしたらセックスをするっていうのが自然の流れってもんだ」
「ねえ、最近、翔太のこと、妙に意識しちゃって、なんでもないときに考えていたりするの。これって、翔太のこと、好きになったのかな?」
「そうだとうれしいな。香織。俺も一緒なんだ。なんでもないときに、香織のあのブラジャーとパンティ姿、目の前にちらつくんだよ」
「バカ!」
「でも、香織のことがどんどん好きになっていく。自分でも分るんだ」
「あたしも、翔太のこと好きになっちゃたみたい」
「香織、男と女がお互いに好きになったら、どんな流れになるんだっけ?」
「翔太、あたしたちも、第1段階のキスとやら、実験してみるか」
「香織、異議な~し!」
握り合っていた手がじっとりと汗をかいていた。
空には花火がきらびやかに咲きほこり乱れ散っている。
木の下の薄暗がりに移動。お互い向かい合って抱き合って見つめ合う。香織の顔の上を様々の彩りの光が輝いていく。ひたむきに見つめてくる香織が美しいと思った。可愛いと思ったことはあるが、始めて美しいと感じた。大人の女になった香織に感動。
浴衣の下からの香織の肌のぬくもりと弾力が伝わってくる。香織の首筋あたりから成熟した女の匂いが魅惑的に立ち上ってくる。本能的にオスとメス。
俺は香織の腰をきつく引き寄せ、香織は俺の首に手を回す。熱い熱い抱擁。口の中を、舌と舌が行き来し、からみあう。至福と恍惚の時間に我を忘れる。
花火大会終了のアナウンスで時間の経過を知る。
「香織、キスがこんなおいしくて、こんなに夢中にさせるものだと知らなかった」
「あたし、うっとりしちゃって、本当に夢でもみているようだったわ」
それから、毎晩、時間と場所をメールでやり取りしてむさぼるようにキスをする間柄なった。
2週間後には、翔太の母親がパートに出ている隙を狙って翔太の部屋でセックスをするようにもなっていた。
夏休みの終わりには、自他が認める恋人同士が誕生していた。
二人の人生で最高に幸せな時期の一つとなった。
「売春って、犯罪だぞ」
「そんなこと、翔太に言われなくてもわかっているわよ。でも、売春防止法という法律で禁止されているだけで、罰則はないのよ」
「ふ~ん、そうなのか」
「バレなきゃ良いのよ。どんなに取り締まっても、売春は根絶することなどできやしないわ。いつの時代にもどこの国でも形を変えて生き残ってきているんだから。それくらいのこと、翔太にだってわかっているでしょ」
「まあな」
「性を売って何が悪いの? マッサージと一緒。サービス業よ。おいしいお食事と飲み物を提供するのとどこが違うのよ」
「おおいに違うよ。法律という社会の決め事は守らなければならないんだ。売春は社会の善良な風俗を乱し、社会の基盤を危うくするじゃないのか?」
「翔太。本気で、そう思っているの? 信じられない。戦争中の従軍慰安婦、米軍基地近くの歓楽街の売春婦。国家も御都合主義よね」
「それに、売春婦って、最古の職業の一つなのよ」
「・・・・・」
「わかったわ。援助交際、止めはできないかもしれないけど控えるわ。最小限度にする。私、翔太が好きだし、これからも翔太とずっと付き合っていきたいもの」
「俺もお前とずっと付き合っていきたい」
「翔太、この頃、なんだか変だぞ。焦っているみたい。今夜は、優しくしてあげる。コンビニ弁当、買って、マユミのアパートに行きましょう。マユミ、今晩、帰らないって。お酒を少し飲みながら、DVDの新作、見ながら、明日の朝まで仲好くしましょう。遠慮なく大声を上げて、セックス、楽しみましょう。気分を晴らして、明日から元気だそうぜ」
やっぱり、香織は俺の恋人だ。特効薬だ。
一晩中、語り合って。やりまくって。また頑張ってみようという気持ちになった。
香織が大好きなのは変わりない。
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by tsado15
| 2013-06-22 17:45
| 翔太・暗中模索・